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錦鯉の歴史

錦鯉の名称定着 - 広がる品種の多様化

山古志で江戸末期の文政年間に緋鯉と白色化した浅黄との自然交配によって産み出された変異種の鯉をもとに品種改良に取り組むものも出始め、江戸から明治にかけては口の周りだけ紅いとか、頭半分が紅い変り種の品種が産み出されたといわれ、以前から山古志では浅黄の突然変異種と見られる緋鯉を、慶事の供物として珍重してきた習慣もあり、紅白の「変わり鯉」は祝い事にもってこいのめでたい供物として、多くの村人たちが珍重がり競って品種改良を手がけるようになったことはいうまでもない。
明治に入ると紅白の山古志の鯉は地域での高い評判を得てかなりの普及を見せる。そして、明治半ばに現在の小千谷市にあたる古志郡東山村在住の広井国蔵なる人物によって紅白の型取りをしたものが一代限りの変異種でなく「紅白」として遺伝力が固定され、その系統が山古志など地域一帯に広がり、各飼育農家で改良が重ねられて「紅白」が完成していった。
「紅白」にたどり着くまでにも浅黄真鯉をルーツとする系統では「鳴海浅黄」、「滝浅黄」や紅白地に黒斑模様の「五色」、鉄真鯉をルーツとするものでは紅色に浅黄斑の「赤松葉」、紅が退色して黄色に見える「黄松葉」、「黄鯉」など数多くの品種が誕生している。
さらに、この浅黄真鯉をルーツとする「紅白」を片親として鉄真鯉ルーツとする赤黒斑の「赤べっ甲」を交配したなかから山古志の星野栄三郎という人の創り出した「大正三色」が誕生し、また、「紅白」の近親交配の中から紅い鱗の縁取りが青い「藍衣」と黒の縁取りの「黒衣」などが生まれ、品種を多様にしてきた。
しかし、この時点では「錦鯉」という名称はなく、「色鯉」、「花鯉」、「模様鯉」、「変わり鯉」などとさまざまな名称で呼ばれていた。
こうしたさまざまな名称で呼ばれていた錦鯉が現在の「錦鯉」となっていったのは、山古志郷の旧古志郡竹沢村で行われた1918年(大正7年)の品評会で「大正三色」を見た当時の新潟県庁水産主任官の阿部圭という人物がその美しさに感銘し「まさしく錦鯉だ」と絶賛したことがきっかけといわれ、その後、日本橋高島屋屋上で観賞魚の販売店を経営していた井上菊雄なる人物が観賞用の故意の総称を「錦鯉」として宣伝し、1940年頃には新潟県外では錦鯉の名称が定着化し、現在に至っているとされる。
1914年(大正3年)に開かれた大正博覧会に当時の山古志を代表する一流品23尾が出品され、これをきっかけとして京都の大手金魚商などの手で全国への販売が始まり、錦鯉の優美な美しさはその名称と共に次第に広く社会一般に知られるようになった。