特集

このサイトは、錦鯉の生産者情報や品種・魚病やお得な情報まで掲載する情報サイトです。
ベテランの方はもちろん、初心者の方にもわかりやすい情報を掲載していますので、錦鯉の魅力や飼育方法、資材や、買い方のチェックポイントなど様々な情報をお楽しみいただけます。

錦鯉の歴史

食用から観賞用へ - 錦鯉誕生へのステップ「色鯉」

人間たちが鯉を飼っていた目的は、貴重な蛋白源として、もともとは食べるために飼育されていました。
では、今の錦鯉のように観賞するようになったのはいつのころからなのでしょうか。
記録として現代に残っている限りでいえば、少なくとも日本では、「日本書紀」にある景行天皇(71年)や推古天皇(620年)の記述の中で、庭の池などに観賞用として放したり、庭園で泳ぐ姿をめでていた様子がうかがわれます。
観賞魚としての鯉の存在が歴史的に日本で最初に明らかにされたものと考えていいだろう。
また中世の建築様式をみると、平安時代後期の貴族の邸宅の建築様式とされる寝殿造りなどは池を配した庭園が造られ、この池でも鯉が飼育され、観賞魚としてもてはやされていたともいわれています。
確かに鯉は、今の観賞魚としての錦鯉のようにその固体独特の色合いを保つための餌などという技術的なことを考えなければ、餌も雑食性ということで人間の食べるものなら餌になるなど大変飼いやすく、よく池で手をたたくとサッとえさを求めてやってくるなど、人にも馴れやすい魚である。昔の人がこうした扱いやすく、人馴れしやすい鯉を愛玩動物、ペットとして親しんできたことは想像に難くありません。
また、こうした鯉の中にも、現代科学でいう遺伝子配合の妙というか、太陽光線や自然条件のいたずらというか、真鯉(黒鯉)の色素バランス(赤、黄、青)の妙で、当然変異的に青鯉、緋鯉、白鯉、浅黄真鯉などが自然発生したことだと思います。平安貴族などは、こうした変種の「色鯉」を喜びとともに珍重したのではないでしょうか。
中国の3世紀の文献「晉崔豹選古今注」にはそうした変り種の「色鯉」が赤、青、黒、白、黄の魚体の体色を表現した赤驥、青馬、玄駒、白驤、黄雉という品種で紹介されています。日本では残念ながら、それほど昔の文献記述や記録といったものは存在せず、1792年の文献に赤、黄、黄赤、白などの体色の鯉が琵琶湖に生息していたという記録があるのみで、この間もおそらく中国同様、緋鯉、青鯉、浅黄鯉、白鯉などの「色鯉」が自然発生的に生まれ、見る人を楽しませていたはずだろうが、残念ながら想像の域を出ないところですが、まず間違いなく人と鯉は共に歴史を刻んできたといえるでしょう。